ASD(自閉症スペクトラム)とプログラマーについて

最近、とある理由により発達障害について調べています。

発達障害については以下があると言われます。

私はかねてからADHDじゃないかと思っていて、病院で診察してもらいました。

結果は「ADHDの傾向がある」でした。

 

ところで私はソフトウェア/ファームウェアエンジニアをやっています。

就職するまで本格的なプログラミングにはほとんど通じてませんでしたが、

なんとか人並みにプログラミング出来るようになったと思っています。

(少なくともこの会社内では。社会的にはどうかわかりません)

ただ、最初は全然とっつけず、周りの人とのコミュニケーションもうまく行かず、

ノイローゼになるかと思うほど苦労しました。

 

苦労したポイントは以下です。

  • 既存コードのとある処理が何をしているのか分からない
  • さっき調べた既存コードが何をしていたのかすぐ忘れる
  • 書いている途中ですぐさま違うアイデアが思い浮かぶ
  • 既存コードを調査している間に少しでも見慣れないキーワードを見るとすぐにその内容を調べずにはいられなくなる
  • そもそも今やろうとしている実装方法で要件を満たせるのか不安になる

つまり、色々なことに不安になりすぎて、今やろうとしていることが最後まで出来ないのです。

また、事務所の環境も更に精神を不安定にさせました。

雑談してる時以外は、事務所がキーボードの音だけで、あとはシーンとしています。

その事務所はプログラマーだけではなく、プロジェクトマネージメント系の人が多かったにも関わらず、そういう雰囲気でした。

私は周りがシーンとしきっている環境が苦手です。

まるでPCに向かうことしか許されず、一言も話してはいけないような気持ちになり、

気分が塞ぎます。

私が理想とする職場はホワイトボードをみんなで囲み、より良い商品を作るには、

よりよい実装にするには、より品質をあげるにはどうしたらいいかをみんなで前向きに

議論しあい、その実現に向けて動く職場です。

少しでも困ったらホワイトボードに集合。もちろん自分の場合でも相手の場合でも。

(なにか困ったら必ず集合!ではありません。あくまで概念としての話です。)

しかし、その職場は困ったことがあっても自分でなんとかしてね、大人なんだから。

という風潮でした。私はその風潮がなかなかにして嫌いです。

結局、そうした結果、みんなで集まって議論しあっていれば解決出来たような問題が出てくるのです。

くだらないなぁと思いました。

 

私は「ADHDの傾向がある」と言いましたが、そのために上記のような考え方になったところもあると思ってます。

考えること、感じることがいちいち衝動的なので、最初に思っていたことをそのまま実現するというのが難しいのです。

既存コードを見ると、そこからアフォードされてしまうわけですね。(アフォーダンス)

 

そこでタイトルの件になりますが、ASDの傾向はADHDと真逆にあるんじゃないかなと思っています。

ADHDの場合は色んなことに注意が行くに対して、ASDの場合は最初に取り組んだ内容から離れられない。

これがプログラミングにとってはすごく有効なんじゃないかと思っています。

人生的、社会的に考えて定常型発達、ASDADHDどれが良いという話ではありません。

プログラミングにとってはASDのほうがうまく働くのではないか、という話です。

他の余計な情報については排他的になることで、課題(プログラムで実現しようとしている機能)に対して必要なことを考え続けることが出来るんじゃないかと思います。

よく、「こういう機能を実現しようとしていて困っている」という話で相談すると、

「こうすればいいじゃん」と、ごくごく簡単な方法で解決されることがあります。

ADHD(私)は、余計な情報も絡めて考えてしまうため、プログラミングにとっては

簡単な課題でも余計難しくしてしまっていると思われます。

発達障害の本で読みましたが、ASDの方の脳内は2次元のマインドマップ状になっているらしいです。(シングルレイヤー)

それに対して定常型発達の人は3次元になっていて、考えのレイヤーが幾重にも重なっているようです。

そのため、定常型発達は他愛もない雑談や突拍子のない話題に対しても柔軟に応対が出来るが、

ASDの方は、今まで考えていた内容から話題が急に離れると、その考えを2次元状の

マインドマップから探さないといけないため、答えを探すのに時間がかかり、

まるで石のように固まってしまうのだそうです。

このようなある意味デメリットの部分が、プログラミングの場合には有効に働くのでは

と思っています。

一旦課題に対して取り組めば、定常的に解決に向かって突き進むことができる。

しかも無駄な妄想もすることもない。

 

ASDの方がプログラマーに多いのではないか?と思って軽くググってみましたが、

やはりシリコンバレーにはASDと呼ばれる方が1割ほどいるそうです。

しかも、シリコンバレーではASD傾向がある人のことを「シリコンバレー症候群」

と呼ばれているそうです。

www.atgp.jp

 

しかし、一人で黙々とやる開発方法であればよいのですが、

アジャイルのようなみんなでスクラム組んで取り組む必要があるプロジェクトでは、

周りの人に理解がある人ではないとASDの方は少し不利な方向に働くのでは?

とも個人的には思います。

(欲しい答えが来なくても我慢する、もしくは、こういう風に考えてみて、等、少し誘導してあげる)

シリコンバレーではもちろんアジャイル的に開発を進めているでしょうから、

やはりASDに理解がある人が多いのだろうと推測しています。

 

ADHD傾向のある私が、どうやって人並みにプログラミングが出来るようになったか

というと、色々な経験を踏まえて、以下の工夫をするに至りました。

  • 新たに調査しないといけないと思ったものは、必ずテキストに残し可視化する
  • メモした調査事項、検討事項について調査状況と結果を書く(調査完了したものは【済】マーク)
  • 細かいが、メモはエクセル等ではなく簡易なテキストにする(エクセルは自由な発想が何故か出来なくなる)
  • 悩んだ場合は一回休む。(喫煙、睡眠など)
  • コーディング中は腹に力を入れる

書いてみると、最後の項目以外は当たり前のこと、よく言われることかもしれません。

ですが、確実に有効です。

まずメモは色々なことに対して有効な手段です。

はたと思いつく懸念事項、調査事項は前に既に思いついたもののことがよくあります。

メモを見直すことで既に解決済みである、と安心することが出来ます。

コーディング中は腹に力を入れる、というのはある意味で精神統一することで、

周りの余計な情報を頭に入れないようにしています。

コーディングモード的なものを自分の中で作り、そのモードで実装しています。

最初に懸念事項等を抽出して潰していくため、他の人よりもスピードは遅いかも

しれませんが、この方法により一人前に実装出来る様になりました。

 

ASDADHDお互い、その人の特性を理解し、社会的な摩擦を出来るだけなくして

日々仕事したいものです。

 

コロナに対して思うこと3

コロナに対して思うこと3です。

今回は日本市民の対応についてです。

 

コロナで騒がれる前から、安倍首相に対する攻撃はツイッターなどで段々加速していきました。

森友問題、桜を見る会などにおける野党の安倍下ろし攻撃は凄まじく、マスコミをこれを積極的に報道しました。そのせいかツイッター民による安倍政権への悪口は見るのもおぞましいくらい度を増した攻撃が続き、それはコロナ騒動の時にピークを迎えました。

マスクを配ってる暇があればもっと有益なことに税金を使え、緊急事態宣言を早くしろ、もしくはその逆、給付金配るのが遅すぎる、こんな時期に検察庁法改正をなし崩しに通そうとするなんて卑怯すぎる。大体こんなところが主な意見かと思います。しかし、これらは、私からすると野党に踊らされているだけ、マスコミに踊らされているだけ、と思っています。

日本のマスコミは弱いです。何が弱いかというと視聴率を稼げそうなネタしか提示しません。

番組の維持性という意味では強いのかもしれませんが(長い目で見ると実は弱いとも言える)、事実を幅広く伝えるという観点ではものすごく弱いです。私は日本の報道番組を見るたびに、「起こったことは何なの?」「事実を描写した時に、誰がいつ何をしてどういう意見が上がったの?」ということをよく思います。起こったことをそのまま伝えないし、経緯を言ってくれないので自分の頭で考えようとした時に何も参考になる情報がないのです。始めから検察庁法改正は悪い、の論調で語りだし、検察庁法改正が悪いかどうかは判断させてくれないのです。

様々な専門家や本で謳われている通り、人間はネガティブな情報に非常に敏感です。生物というものはより生き残れる様にするために様々な努力や進化をしてきています。

草食動物はより広い範囲を見れるように目が横向きに付いています。これは決して美しい景色をより多く見よう、というものではなく、少しでも早く自分を襲ってくる肉食動物を察知しようとするものです。ネガティブな情報に敏感になることで、より生き残り安くなります。

同じことが人間にも起きています。人々はネガティブなニュースを見るたびに、これからなにか悪いことが起こるのであれば見なくては!と、そのニュースに釘付けになります。

ということは、ネガティブな情報を出したほうが視聴率が取れるのです。しかもネガティブな情報を見るとその不安を紛らわすために消費行動を取りやすくなるらしく、ネガティブ報道はスポンサー大喜びへ直結する図が出来上がります。

確かに生き残れる様にするために、ネガティブな情報は必要です。しかし、今のメディアはこれを過大に放送し過ぎています。日々のコロナ感染者数を報じ、ロックダウンの必要性について専門家でもないコメンテーターの毒にも薬にもならない(ただしネガティブな)意見を聞き、何も知識のない人は信じ込むしかありません。

人間は考えることのできる動物です。しかも論理的に考えることができます。正しい知識を与えれば、ある程度正しい行動ができるはずです。今回のコロナ報道では、日に何人感染者数が増えたか、は報じられましたが、その中で何人が回復したのか、何人が退院したのか、何人が死亡したのか、は報じられませんでした。更には、感染したらどういう症状が出るのか、何割の人が軽症で、何割の人が重症で具体的にどうなって、どういう経緯をたどって回復または死に至るのか。その様な情報は全く皆無で、日々虎視眈々と感染者数を報じて人々を恐れさせるだけです。この情報だけで一体何をすれば良いのか分かりません。が、たとえ少数(日に最大で2,300人くらいの感染者数)でもあれだけ重要そうに報じれば恐怖感だけは確実に増していきます。

特に日本なんですかね、全体で同一の意見の形成を求めようとする傾向が非常に高いです。例えば、ある円グラフを表して、「このグラフから何が読み取れますか?」と聞いた時に、聞かれた人はある意味での試練に立たされます。全体で形成されるであろう意見と自分の意見は合致しているのか?という強迫観念に苛まれるのです。しかし、この質問者が、その意見の一致を求めているかは別として、本来その様な見解は複数あって然るべきです。と、いうか、複数出してこそみんなで議論する価値があります。複数出した意見一つ一つに対して、その他の人がどう思うか、ここが面白いのです。いろいろな科学反応が見込めます。しかし、なかなかそうはならない。

ちなみに、質問者は「何が読み取れますか?」しか聞いてません。つまり何を読み取ったか?という事実を聞いているに過ぎません。この思ったことを素直に表出するのが非常に難しいのが日本の空気ですね。質問に対して裏にあるであろう質問者の心情を(実際の有無は別として)読み取ろうとしてしまう。これが日本の良いところでもあり、悪いところでもあります。

少し脇道に逸れましたが、最近のマスコミは、上の例で言うところの円グラフの提示すらせず、最初から○○は悪い、の前提に立ち、意図的にネガティブな意見を全体形成させようとしているとしか思えません。

ここまでの報道の仕方はあってはならないと思いますし、地上波の報道は信用に値しないと思っています。(最近は地上波のニュースはほぼ見ていません。Youtube虎ノ門ニュースを見まくっています。めちゃくちゃ面白いよ!)

  

・・・ちょっと長くなってしまったので、続き、その地上波報道を受けて動くツイッター民の動き、について明日書こうと思います。

コロナに対して思うこと2

コロナに対して思うこと2です。

前回言ったとおり、小池都知事の対応について書きたいと思います。

 

まず私の個人見解を言うと、小池都知事というのは名誉欲が人一倍強い、ただの人だと思っています。自粛要請を声高らかに宣言することによって、コロナに対してものすごく有効に働きかけたとアピールしたいだけなのです。

自粛というのは諸刃の剣です。三密を回避せよと謳われることで、日々の生活もままならない人が出てきます。少なくとも経済的に打撃を受けることは誰でも予測出来ます。

経済が打撃を受けるということは、人の生活が脅かされる可能性があるということです。現代では経済活動を回すことで人々は生活しています。人の生きる糧が切られるということです。

しかし、それぐらいのことをしなければコロナの脅威を乗り切ることが出来ないということであれば、自粛するのも止むなしと思います。お金は最悪補填する。命はお金より大事だから。それは納得できます。

ただ、問題は今回のことが本当にそれぐらいのことなのかということです。

第一にコロナによる死亡者数です。2020/5/31現在で日本の死者数は898人です。1億2000万人中の898人です。0.0007%です。もし自粛・ステイホームの効果があった結果なのだ、もしくはPCR検査も受けられずに人知れず亡くなった方がいるのだとしても、極端に少ないと思わざるを得ないです。本当にそこまで気をつけるべきものだったのか。

第二に自粛前後での感染者数の推移です。虎ノ門ニュースに出演されている須田慎一郎さんの解説によると、自粛に効果があるとするのであれば、自粛開始の2週間後にガクンと感染者数が減らなきゃならないところ、実際は自粛前から徐々に減少していくという、自粛タイミングとは相関のない感染者数グラフになっていたということです。

この自粛による効果の有無は早急に検証するべき必要があるでしょう。もし効果がないのであれば二度とやるべきではない。

ただ、今の日本という社会は一回脳みそに棲み着いた考えを追い出すのにものすごくエネルギーがいる社会です。

初めてのことなので、対策を間違ってしまうことは仕方ないと思うのです。大事なのはそれが間違ってた時にちゃんと正しい方向に修正していかないといけない。これが今の日本ではとてもやりづらいです。お前、前にこう言ってたじゃねぇか!どうしてくれるんだ!とこうなります。うるせーボケ、と言いたくなりますが、悲しくもこれが現実です。自分で考えないのですよね。

政治家もその様な批判が怖いせいか、彼らが下した決断について丁寧に理由や根拠を説明しません。ブラックボックス化しているため、市民の考える材料が少なくなる。そして施策が変わった時に市民からの批判が強くなる。負のループに陥っていると思います。

でも、その時は間違ってないと思っていた施策なのであれば、それをやる。もしそれが間違いだと分かったときには堂々と認めて、正しい道に是正してやる、ということを繰り返さないと、社会は道を踏み外します。

日本市民のこういう悲しい風潮も風潮ですが、それを真に受けすぎるお偉いさんもお偉いさんだと思います。だれか堂々と責任を被って、1回これをやってみよう、ダメだったら私が全て責任を持つから。と言う人はいないのでしょうか。

(そういう意味ではニューヨークのクオモ知事の演説は感動的でした。虎ノ門ニュースでは結構こき下ろされてましたが)

話が逸れましたが、正しい道に是正するために、今までの施策がちゃんと正しい方向に進んでいたのか、検証は必ず正当なやり方でなされるべきだと思います。

 

冒頭に小池都知事について「名誉欲が人一倍強い、ただの人」と書いた訳ですが、私の予想では、この方は専門家の言っていることをあまり理解出来ていません。ただ、キャッチーな言い方をするために「三密」とか言ってみたり、コロナの記者会見中に急になんの脈絡もなく、「オリンピックは来年必ず成功させましょうね、と、私からバッハ会長に進言申し上げました」と言い出したり、人気を取りたいだけなのが丸見えです。下品なくらい。

挙句の果てには、ゴールデンウィーク前の4/27(月), 28(火)をステイホーム週間のために休みにしてくださいと各大企業に号令してきました。

自粛に効果がある前提で、この方策自体に文句はありません。作戦の一つとして考えられるものだと思います。問題はその号令をかけた日時です。

小池都知事はこの号令を4/24(金)の18:00に言ってきたのです。普通ならすでに帰宅している時間です。しかも働き方改革とか言って、働く時間を少なくして生産性を上げろ、と言っている昨今の状況の中ですよ。どの口が言ってるんだ?と思いませんか。

私もこのイチ企業の社員だったのですが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたと思います。4/27, 4/28が休みになるのであれば、4/24が最終の出勤日ということになります。しかし我々はその時4/27予定の納品を控えており、顧客もうちに対する翌月の発注を控えている最中で、予想打にしない号令に社内は混乱を極めました。

聞いた話だと他の部は顧客との打ち合わせの調整のために奔走するも顧客が捕まらず、結局4/27, 28は出社してキャンセルの連絡を入れるという本末転倒な事態になっていたそうです。

私はこの件激しく小池都知事に対して不信感が沸きました。

号令をかけることが悪いこととは言いませんが、遅くとも前々日、最低前日にはそういう号令をかけるかもしれない、と、一言言っておくべきです。それならまだ準備が出来ます。普通ならそう考えます。というかすぐ予想出来ます。

こんな直前の直前で言ってくるということは、よっぽどの政治素人なのか、ただの名誉欲の塊なのかくらいしか思いつきません。多分、土壇場で、あ、良いこと思いついた♪ と思って、善は急げ(実際には全然「善」な結果にはならなかった)で言ってきたのでしょう。

 

自粛の話に戻すと、それが効果あるかどうか確認できるので試せたという意味はあるでしょう。ただ、私はこのウィルスは人から人への感染(もあるのでしょうが)よりも、モノから人への感染が強いと思っています。この場合自粛はさほど効果がありません。自粛すると言っても日常生活を送るために買い物はしなければなりません。その際に、コロナ感染者が触った商品やお金を触ることは十分に考えられるでしょう。確かに機会は減るでしょうが、コロナウィルスはモノの上で生き長らえる時間が他のウィルスよりかなり長いということなので、自粛で防げるものではないでしょう。

私はかねてより、モノからの感染を警戒していました。なのにマスコミや政府がマスクにしか焦点を当てないのはどういう理由なんでしょうね。マスクが不要とは言いませんが、同じくらい消毒も大事なはずです。マスクの増産の議論はするのになぜ消毒液増産の話が全然出なかったのか、ずっと今でも疑問です。

 

自粛が一旦解除になり、新しい生活が始まりましたが、小池都知事はさらに自分アピールするために自粛完全解除のロードマップなるものを出して来ました。一部の業種は1ヶ月ほど待たないと全解除にはなりません。経済の影響を受けて打撃を受けるのは自分ですからね。自分の人気だけが上がったって東京や日本がダメになれば終了です。そういうことを踏まえて、今までの施策に効果があったのか、小池都知事には是非ともその検証をやって頂き、意味のある施策をお願いしたいです。(あ、僕神奈川県民だった)

 

 

コロナに対して思うこと

いきなりルールを破りますが、時事ネタということでコロナについて。

コロナについて色々と議論されることが多いと思いますが、個人的な意見を書きます

 

目次

  1. 安倍総理の対応について
  2. 小池都知事の対応について
  3. 日本市民の対応について
  4. 何がコロナ対策に効くのか 

 

1. 安倍総理の対応について

政府の対応が遅い!これは人災だ!とか、アベノマスクを配ってどうなるんだ!とか、コロナで大変な中、検察庁法改正するな!とか、色々聞きますが、私の考えとしては安倍総理は一定の対処を行った、と考えています。

まず、検察庁法改正については、まず、もともと検察の力が絶大に大きかったものに対する対策であること、そもそもこの法案が可決されたとして、施行されるのは2年後なので黒川検事長はそれまでに定年になるから関係ない、と色々なところで解説を聞きました。これらはマスコミがツイッターを使った誘導がトリガーとなって発生したものということで、この件については議論はスキップします。

アベノマスクについてですが、私も最初はなぜマスク?と思いましたが、考え方を変えると、今後また訪れるであろう何かしらのウィルス危機に対して、一家に使い回せるマスクがあることは無駄ではないのかもしれません。少なくとも政府が動いてそれぞれの家庭に配布してくれるのですが、ありがたくもらっておこうと思います。

で、確かに対応が遅いところは否めないと思っています。ただ、野党やそれに踊らされている市民のように安倍下ろしに力を入れることはこの事態に対して無力だと思っています。この状況で検察庁法改正なんて何考えてんだ!という議題で盛り上がっている事自体が時間の無駄だと思います。(桜の会、加計学園の件も同様に思います。どうでもよくないですか?誰の得になるの?)ぜひ野党には、コロナ対策に対して、こういう対策ではなく違う対策がいいのではないか?など、生産的な議論をして頂きたい。それが出来た瞬間から、野党を応援しようと思います。

安倍さんが一定の対策を行っていると言っている訳は、未知のウィルスに対して誠実に対策を行って来たように見えるからです。ここで言う誠実さとは安倍さんが考えることが出来た誠実さであり、もっと良い策はあったのかもしれません。ただ、他の人がやった時にもっと良くなるか?今の日本で考えると、私は疑問です。今の日本は正直に言って独自に考えることが苦手、そして、聞いたことを鵜呑みにしすぎています。結構なやり手ではないと、ちゃんとした政策を打つことは無理でしょう。

また、安倍さんは恐らく表現が苦手です。星野源のステイホームに向けた動画を発信した時に、豪邸でリラックスするセッション(?)動画を上げ、ツイッター上でかなりの大炎上を見せました。恐らくですが、安倍さん的には家でもリラックスして楽しく過ごせるよ、だから悲観しなくていいんだよ、ということを伝えたくてあの様な動画を撮ったのだろうと思います。それが星野源の演奏動画と奇跡的なミスマッチを生み出し、とても嫌味な映像に見えてしまったんだろうと思います。滑舌が悪いのもマイナスですね。多分、実はやることやってる人だと思います。(全然根拠ないけど)

私は安倍総理は好きではありませんが、嫌いでもありません。色々な施策に対する根拠の説明などするべきところも出来ないですが、できるだけのことはやっている様な気がします。欧米からも日本の政策を見習え!と称賛の声が上がっていたりするようです。少なくとも権力にあぐらをかいてあとは知らぬ存ぜぬという感じではありません。なにより安倍政権が続いてもうすぐ10年くらい経とうとしています。ここまで続くということは何もしてない訳無いです。(民主党政権なんてすぐ消えたでしょ?)

次回は目次の2番、私の大嫌いな小池都知事の対応について書こうと思います。

 

 

はじめまして

ブログを始めてみよう、始めてみようと思って、こんな時間になってしまった。

このブログを書こうと思い立った訳は、私なりに36年間生きてきて、少なからず自論やノウハウが確立できてきていて、確証は得られないが個人的にほぼ確証ありのところまで考えたものが溜まってきたので、公の目に触れる場所にそれを書きとどめたいと思ったから。

基本的には人目を気にせず書いて行こうと思うが、ご意見、ご感想、批評、ご指摘等々ありましたら、遠慮なく記載いただきたいと思います。

 

私の中に留まりますが、本ブログのルールです。

  • 言いたいことを言う(誤解や世の中の目を恐れて表現をねじ曲げることに苦慮しない)
  • 自分の考えを正しく表現する訓練の場とする(セルフコントロールの向上)
  • つらつら書くのはNG。言いたいことを構成力を持って表現する
  • 論理的に書く

このブログは誰宛てのものでもありません。

たまたまそこに落ちてた意見として扱っていただければと思います。

 

本格的なブログは明日以降に。